「ゴチ」せいや、制服姿で意気込み

ENTERTAINMENT 記事提供:ORICON NEWS お笑いコンビ・霜降り明星のせいやが、日本テレビ系バラエティー『ぐるぐるナインティナイン』内企画「ゴチになります!26」の新メンバーに決定。意気込みコメントが到着した。 【写真】気づけた?“新メンバーB”として変装していた白石麻衣 16日放送の『ぐるナイゴチ26開幕!新メンバーは2人!2時間SP』では、新メンバーがせいやと白石麻衣だと発表された。岡村隆史(ナインティナイン)、増田貴久(NEWS)、小芝風花、高橋文哉とともに今シーズンのレギュラーメンバーとなる。 せいやは「『ぐるナイ』のゴチといえば、ゴールデン番組のど真ん中という感じがしてとてもうれしかったです」と喜びのコメント。「ゴチに笑いの風をふかせたいと思います!そして1位をたくさんとって、余裕をもってお笑いをしたいですね」と意気込んだ。 23日放送の「ゴチになります!26」では、新メンバーも加わった初戦の結果発表が行われる。 【コメント全文】 ――新メンバーになると聞いたときの気持ちは。 『ぐるナイ』のゴチといえば、ゴールデン番組のど真ん中という感じがしてとてもうれしかったです。いまテレビ出演のモチベーションの大きなひとつが、親やおじいちゃんおばあちゃんも見る番組に出るということなので、憧れの番組に出られて親孝行もさせてもらえる。ありがたいです。 ――『ゴチになります!』の印象は。 昔から家族みんなが知っている番組。『ぐるナイ』に出た最初のころは「ふんどしファイヤー」という企画で火の上を走らされたり、風船の中に顔を入れて破裂させられるとか、えげつないくらい体を張りまして、正直「なんちゅう番組か」と思っていました(笑)。 ゴチに出たのはコンビで優勝してすぐでしたが、そのときはテレビ出演自体に不慣れでいっぱいいっぱいで、正直あまり覚えていないんです。いま改めて落ち着いてゴチの皆さんとじっくり仕事できる機会に恵まれ、しかもレギュラーとして入れて感無量です。 ――ゴチメンバーとの今までの交流について教えてください。 特に岡村さんとはちょこちょこお仕事ご一緒させていただいているんですが、岡村さん、楽屋で声が小さすぎて。何を言っているかわからないんです(笑)。でもやっぱり僕の中では「リーダー」という印象が強い。だからうれしいんですね、岡村さんとレギュラー一緒なんて初めてなので。それにぐるナイは30周年を迎えた番組ですよね。そんなに長く続く番組で急にレギュラーに選んでいただけるなんて、「ゴチ」くらいかなと思うんです。特別な仲間に入れていただいて光栄です。 ――自身の制服姿はいかがですか。 クビになったばかりの先輩、盛山さん(見取り図・盛山晋太郎)とは違う緑カラーで作っていただいたことがうれしいです。長く着たいなと思いますね。ピタリとか1位とれたらさらに愛着がわくんだろうなと思います。1位になったらもらえるバッジつけたいな、早く! ――盛山さんは昨年末、クビになって去っていく際に「次のメンバーはオモんない奴であれ」と言い残したそうですが。 嫌な先輩(笑)。当然、まだ盛山さんに言えていないのですが、めちゃくちゃお世話になっている仲の良い先輩なので、早く報告したいです。 ――食リポに自信はありますか。 自信はまだないので、正直にやっていきたいなと思っています。変におしゃれな言葉を使ったら、めちゃくちゃうすっぺらくなってしまう気がするので。 ――初戦を終えてみて、手ごたえはかがでしょうか。 これがね、本当に難しいですよね。全くわからないんです。そして、「マジでガチなんだな!」と。緊張感と、「ほんまに払うんや」と。まだびっくりしている自分がいます。心の中で自分がまだ粘っているんですよ、「いやテレビショーやろ?」と。それと、まっすー(NEWS・増田貴久)がボケ倒しているので、それをどれだけ拾えるかが勝負だなと燃えてます。ボケも拾うし、ツッコみもたくさんしたいなと。いろんな角度で盛り上げたいですね。 ――このメンバーには負けたくなかったなどありましたか。 同期新メンバーとしてはまいやん(白石麻衣)よりは先に1位をとりたいし、先にビリをとりたくないですね。白石さんとは同い年、お互い1992年生まれという共通点があります。いままでもちょこちょこ共演はありますが、レギュラー共演は初めてなので急にテンション上がってめちゃくちゃ距離つめないようにしときます。そして、白石さんが新メンバーなんて豪華ですよね。すごくうれしいです。 実は勝手に「ヒコロヒーかな?」とか予想してたんです。ヒコロヒーだと僕にとっては日常なんで。よく飲みに行く仲間なんで、いつもの居酒屋みたいになってしまうよなぁと勝手に心配していましたが、全然違いましたね(笑)。いい意味で大きく裏切られました! ――改めて新メンバーとしてこれからの意気込みをお願いします。 ゴチに笑いの風をふかせたいと思います!そして1位をたくさんとって、余裕をもってお笑いをしたいですね。 LIFE…

Read more

発生直後のまま止まった大時計 「いつまでも引きずるよりいいのかも…」 商店主らが追悼

止まったままの時計の前で手を合わせる人ら=17日午前5時46分、兵庫県西宮市(甘利慈撮影) 阪神大震災の発生から30年となる17日、兵庫県内の各地で追悼行事が営まれた。 多くの店舗が全半壊するなど甚大な被害を受けた兵庫県西宮市の西宮中央商店街では、地震の衝撃で発生直後の時を刻んだまま止まった大時計のモニュメント前に商店主らが早朝に集まり、発生時刻の午前5時46分、手を合わせて黙禱(もくとう)した。 当初は100人近くが集まったが、復興に携わった人が亡くなったり店をたたんだりして年々少なくなり、今年は約30人。商店主らへの声かけ役を務めた元商店街理事長で呉服店経営の松下治正さん(73)は「近年は10人を割っていたので、これでも多く集まっていただいた方だと思う」と話す。 人も店舗も大幅に入れ替わり、震災のことを話す機会が少なくなってきたことに寂しさを感じる一方で、「最近は、いつまでも引きずるよりはいいのかなと思えるようになった」とも。「30年前に商店街は生まれ変わった。前を向いて、えべっさん(西宮神社)の門前の商店街を盛り上げていければ」と静かに語った。 阪神大震災から30年 鎮魂の祈りに包まれる神戸が迎えた午前5時46分 「大切な人がそばにいるのは当たり前じゃない」 震災で家族亡くした遺族代表が語る30年

Read more

日本代表MFがキレキレすぎる!キュンキュンのドリブルで重要ゴールを演出(Qoly)|dメニューニュース

日本代表MFがキレキレすぎる!キュンキュンのドリブルで重要ゴールを演出 久保建英が所属しているレアル・ソシエダは、16日夜にコパ・デル・レイのラージョ・バジェカーノ戦に臨み、3-1と勝利を収めることに成功した。 この試合で先発出場した久保建英は、前半23分に左サイドからドリブル突破を敢行。ラインギリギリからグラウンダークロスで折り返し、主将ミケル・オヤルサバルのゴールをアシストした。 🔟 カピタン ©️ — レアル・ソシエダ 🇯🇵 (@RealSociedad_JP) このゴールで勢いづいたレアル・ソシエダは、前半終了が近づいた45+1分にジョン・アンデル・オラサガスティの追加点でリードを広げる。 その後PKで一点を返されるものの、79分にセルヒオ・ゴメスの追加点で再び2点差とし、そのまま3-1で逃げ切っている。 久保建英は先発出場から89分プレーし、試合終了間際にシェラルド・ベッカーとの交代でベンチに下がっている。 これでコパ・デル・レイのベスト8に進出したレアル・ソシエダ。準々決勝は2月4日〜6日に開催される予定となっており、組み合わせ抽選会は1月20日に行われる。

Read more

阪神淡路大震災から30年― 阪神・粟井球団社長「復旧復興を伝えていく役割がタイガースにはある」(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース

<阪神新人合同自主トレ>黙とうを捧げる粟井球団社長(左)らナイン(撮影・中辻 颯太) 1995年に発生した阪神淡路大震災から30年を迎えた17日、阪神は兵庫県西宮市の2軍施設鳴尾浜で、選手、関係者約60人が黙とうを捧げた。粟井球団社長が報道陣に対応した。 「この30年を振り返ってみると、日常が奪われて、普通に野球ができないとか、日常の生活ができないこともある。それに対して我々ができることは何か。こういう機会に、こんなことがあったんだよと発信する役割がある。戦争のことは僕も含めて経験していない。でも、戦後何年というタイミングで思い出すことができる。災害に対しても、備えあれば少しは減災できることもあるだろうし。我々が偉そうに言うわけではないけども、思い出していただくきっかけになれば。黙祷だけかもしれないですけど、我々にはそんな責務があるんじゃないかなと」 2軍施設は3月に、兵庫県尼崎市へ移転する。場所が変わっても「どういう形でかは分からないですけど、震災があって、そこから復旧復興をしてきたということを伝えていく役割がタイガースにはある。それをやっていきたい」と語った。 スポニチアネックス ******* **************************************************************************** ******* ****************************************************************************

Read more

「ミスタータイガース」野球殿堂入り…85年日本一の監督・吉田さん「彼ほどノックを受けバットを振り込んだ選手はなかなかいない」

日本野球の発展に寄与した人をたたえる2025年野球殿堂表彰者が16日発表され、4氏が殿堂入りした。競技者表彰のプレーヤー部門でイチロー(本名・鈴木一朗)氏(51)と岩瀬仁紀氏(50)、指導者として実績を残した人や球界に貢献した人らに贈られるエキスパート部門で掛布雅之氏(69)が選ばれた。 イチロー氏はオリックスで7年連続首位打者に輝き、米大リーグ・マリナーズでも歴代最多のシーズン262安打を放つなど日米通算4367安打をマーク。岩瀬氏は中日の守護神を長く務め、いずれも歴代最多の1002試合登板、407セーブを記録した。 1985年4月17日の巨人戦で本塁打を放つ掛布氏。バース氏、岡田氏との「バックスクリーン3連発」はファンの記憶に刻まれた 掛布氏は阪神の主砲として活躍し、「ミスタータイガース」と呼ばれた。 特別表彰でセ・リーグ審判部長などを務めた富沢宏哉氏(93)が選出された。 元阪神監督・吉田義男さん 「掛布氏ほどノックを受け、バットを振り込んだ選手はなかなかいません。1985年の巨人戦でのバックスクリーン3連発ばかりが取り上げられますが、あの打力の源流は、鍛えられた守備力による柔軟性から生み出されたものです。今後も野球界のために尽くしてほしいと願っています」 阪神・藤川監督 「掛布さんを大好きで応援してきたファンの方には、たまらないんじゃないかな。掛布さんもおそらく、自分のことよりもファンに感謝を覚えられたと思う」 阪神・岩崎が4人の後輩と自主トレ公開…「教えながら自分のポイントもチェックできる」

Read more

トヨタ・ハリアー次期型、ついにハンマーヘッドデザイン導入の可能性!? 最終デザイン大予想

トヨタは現在、人気クロスオーバーSUV「ハリアー」次期型の開発に着手していると見られるが、最新情報を入手、スクープ班が予想CGを制作した。 現行型トヨタ・ハリアー 初代ハリアーは、1997年に「カムリ」のプラットフォームをベースに誕生した。第3世代となる現行型は、2020年に登場、現在4年が経過しているが、すでに次期型の開発が進められているようだ。 パワートレーンは、トヨタがスバル、マツダと共同で開催した次世代エンジン技術説明会「マルチパスウェイ・ワークショップ」で発表された中の、1.5L直列4気筒ターボエンジンが搭載される。これは既存の2.5L直列4気筒自然吸気エンジンより、体積が20%、全高が15%低減している。つまり、ノーズはより低く、CD値や燃費が向上するフォルムが完成する。このほか、同エンジンにモーターを積んだハイブリッドや、システム合計の最高出力320psを発揮するプラグインハイブリッドが予定されているという。 トヨタ ハリアー 次期型 予想CG 情報をもとに制作した予想CGは、ウィンドウCピラー後方をブラックにすることで、クーペスタイルを印象づけている。サイドデザインは、コンセプトスポーツクロスオーバーを踏襲。ワイド感と立体感を強調し、フロントはハンマーヘッドデザインを採用している。ヘッドライト内部には6連プロジェクターを配置。グリルイメージは2段構えのデザインで迫力満点になると予想した。 ボディサイズは全長が4750mm×全幅1860mm×全高1640mmと現行型より10mm長く5mmワイドに、そして20mm低くなることが予想されている。 キャビン内では、AI技術と連携した次世代インフォテイメントシステムを搭載、インタネット接続を必要としない「オンデバイス音声認識」が期待できそうだ。 ハリアー次期型のワールドプレミアは、順調に行けば2026年後半と思われる。 トヨタ ハリアー 次期型 予想CG トヨタ ハリアー 次期型 予想CG トヨタ ハリアー 現行型 キーワードで検索する

Read more

阪神が鳴尾浜で黙祷 粟井球団社長「自分ができることとか、振り返る節目」(サンケイスポーツ) – Yahoo!ニュース

黙祷する阪神関係者=鳴尾浜球場(撮影・中島信生) 阪神は17日、阪神淡路大震災から30年を迎え、兵庫県西宮市の鳴尾浜球場で被災者に黙祷を捧げた。D1位・伊原(NTT西日本)、平田2軍監督、粟井球団社長ら約60人が参加し、被災者をしのんだ。震災から30年がたち、粟井社長は「毎年黙祷させていただいていますが、いろいろ思い起こして、自分ができることとか、振り返る節目」。阪神は今年3月に鳴尾浜から尼崎にある2軍新施設「ゼロカーボンベースボールパーク」に移転する。粟井社長は「考えてみるとこの鳴尾浜で(黙祷を)やるのも最後なんですよね。そういう意味でも次は尼崎に行って、どういう形でかは分からないですけど、そういう震災があって、そこから復旧復興をしてきたということを伝えていく役割がタイガースにはある。それをやっていきたいなと思っています」と災害の記憶を風化させないことを誓った。 サンケイスポーツ ******* **************************************************************************** ******* ****************************************************************************

Read more

阪神 新人選手ら約60人が黙とう 粟井球団社長「震災があって復旧、復興してきたということを伝えていく役割がタイガースにある」(デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース

阪神・淡路大震災から30年。黙とうをする粟井一夫社長(左から2人目)らと阪神選手(撮影・中田匡峻) 阪神・淡路大震災の発生から30年を迎えた17日、阪神の粟井一夫球団社長や球団職員、新人選手ら約60人が鳴尾浜球場で黙とうをささげた。 【写真】「助けて!!」震災翌日のデイリースポーツ1面 練習開始前の9時57分に、球団旗が半旗で掲げられたグラウンドで行われた。 粟井社長は当時、阪神電鉄の社員として西宮市内で被災。この日、取材に対応した。 「30年という節目。毎年、黙とうをさせていただいて思い起こしている。自分たちにできること、しないといけないこととかを振り返る。今回は節目なんで(テレビ)番組報道も紙面報道もあって、いつもの年よりも考えることが多かったなと。われわれができることは何なんだと言うと、こういう機会にこんなことがあったんだと発信する役割もある。思い出していただくきっかけになるという意味では、黙とうだけかもしれないですけど、われわれの責務があるのかなと。考えると、鳴尾浜でやるのは今年が最後ですよね。そういう意味でも、次は尼崎でどういう形でかわからないですけど、そういう震災があって復旧、復興してきたっていうことを伝えていく役割がタイガースにある」と話した。 デイリースポーツ ******* **************************************************************************** ******* ****************************************************************************

Read more

兵庫県初代防災監が語る カネの有無で生まれる防災力格差の懸念

阪神大震災直後、黒煙を上げて燃え上がる神戸市長田区菅原通周辺=1995年1月17日午前8時半、本社ヘリから撮影 1995年の阪神大震災の教訓を踏まえ、兵庫県はその翌年に自治体初の「防災監」という役職を設け、災害に備えてきました。今や、どこででも誰もが甚大な災害に遭う恐れがある中で、初代防災監を務めた斎藤富雄さん(79)は、市町村の財政力の強弱が、防災力の格差につながることを懸念しています。そんな事態を避けるために、私たちが暮らす自治体は、どうすべきなのでしょうか。 震災で防災体制の弱点あらわに ――兵庫県で初代の防災監をされました。自治体での防災監の役割とは、何でしょうか。 昼夜を分かたず防災や減災、危機管理について考えるのが仕事です。災害時、首長は多忙ながら広い視野を持って判断しなければなりません。防災監は専門的な学びを踏まえて、首長の判断を補佐することになります。司令塔として具体的な執行を指揮する重い責務があります。 私は防災監として、行政組織全体として防災機能を高めることを目標の根底に置いていました。 阪神大震災は、自治体の防災体制の弱点をあらわにしました。兵庫県庁では、被害を把握、分析し、応急的にどのような対応をすべきかといった判断ができる職員がいないという「専門性の欠如」が見られたのです。2~3年の人事異動などで担当者が代わり、災害時に関連機関との連携が築きにくい「継続性の欠如」がありました。 また、災害はあらゆる行政分野に影響しますが、各部局の縦割り業務によって総合的に対応できないという弊害をもたらし、迅速性に欠けるという矛盾も生じました。そうした教訓から、県は専門職を置き効率的、効果的な災害対応ができるように改善を目指したのです。 ――阪神大震災から学んだことを、もう少し具体的に教えてください。 1995年1月17日は、3連休明けの火曜日でした。地震が起こったのは起床して約15分後の午前5時46分です。 神戸市東灘区の木造2階建ての自宅で、激しい揺れに遭いました。全壊は免れましたが家具や食器が飛び交いました。近隣ではほとんどの家が倒壊し、火の手があがった所もありました。災害対応の拠点となる県の庁舎や市町庁舎も被害を受け、多くの職員も被災しました。 当時、災害といえば風水害が念頭にあり、「地震はない」という安全神話がはこびっていた無防備な状況でした。私は当時、県の知事公室次長兼秘書課長でしたが、大地震の際にどのように行動するかの知識も備えもありませんでした。 混乱の中で命の尊さや自然災害の脅威を学び、行政の対応に限界があることを知りました。住民の相互扶助、ボランティアや民間企業の支え、専門家の知見、メディアの情報発信など普段からのつながりをいかに機能させるかが大切だと実感しました。 FEMAから学ぶ ――阪神大震災を受け、県はどういう経緯で防災監を設置したのでしょうか。 …

Read more

【鳥谷敬】忘れられない阪神掛布2軍監督の気遣い 苦悩の時期に突然「大変だとは思うけど…」 – プロ野球 : 日刊スポーツ

野球殿堂入り通知式を終えバース氏のレリーフと笑顔で写真に納まる掛布氏(撮影・垰建太) 阪神OBの掛布雅之氏(69)が16日、エキスパート表彰で殿堂入り。同氏の阪神2軍監督時代から親交が深い日刊スポーツ評論家の鳥谷敬氏(43)が感謝の祝福コメントを寄せた。【聞き手=佐井陽介】 ◇ ◇ ◇ 掛布さんと深い話をさせてもらうようになったのは、確か16年からだったはずです。当時、掛布さんは阪神の2軍監督。一方の私は35歳にしてプロ野球人生で初めてと表現してもいいぐらい苦しい日々を過ごしていました。開幕直後から調子が上がらないまま、夏が終わる頃には後輩の北條史也選手に遊撃スタメンの座を奪われた1年。掛布さんから声をかけてもらったのは、そんなシーズンの途中でした。 その頃の私は甲子園でナイターが開催される日は必ず、午前中から室内練習場で体を動かしていました。掛布さんはこのルーティンを知ってくれていたのでしょうか。鳴尾浜の2軍戦が雨天中止となったある日。ファーム本隊が午前中に甲子園室内で練習するタイミングで突然、自分のもとにわざわざ話をしに来てくれたのです。「大変だとは思うけど、こういう時こそ周りの後輩たちもみんなオマエの姿を見ているのだから、頑張るんだぞ」。そんな心のこもった言葉にどれだけ励まされたことか…。 掛布さんとはそれまで決して接点が多いわけではありませんでした。それなのに自分のことを気にかけてくれていたのだと、本当に驚き感謝したものです。当時の2軍監督付広報は、早大で私の2学年先輩にあたる東辰弥さん。東さんが掛布さんにお願いしてくれたのか、掛布さんが会いたいと思ってくれたのか、過程は分かりません。ただ、内情がどうであれ、掛布さんは私にとって「一番苦しい時に親身になってくれた方」に違いありません。 掛布さんはあれほどのレジェンドなのに、後輩に自分の意見を無理強いしたりはしません。18年か19年のオフ、食事をご一緒させてもらった時もそうでした。当時の私は断酒中。掛布さんから「今日ぐらいは飲んだら?」と気を使ってもらっても、かたくなにお酒を口にしませんでした。それでも掛布さんは一切怒らない。むしろ「おまえ、すごいな」と笑って許してくれました。どんな話題でも「俺はこう思うけど、トリはどう思う?」と押しつけない。いつだって柔軟な考え方を持っているから2軍監督時代、40歳前後も年が離れた“今どきの若者”ともスムーズにコミュニケーションを取れたのでしょう。 ミスタータイガースと呼ばれ、最後まで「阪神の4番」にこだわったままユニホームを脱がれた方。誰よりもタイガースを背負うしんどさを知っている方です。食事中に聞かせてもらう内容も技術論よりは人間、生きざまの部分が多いような気がします。私は現役生活最後の2年間をロッテで過ごしました。掛布さんはもしかしたら阪神鳥谷敬のまま引退するべきだと考えていたかもしれません。それでも最後、引退を報告した際には「ロッテでいろいろな経験を積めて良かった」とねぎらってくれました。これからも変わることなく、優しく真剣に後輩を思い続けてくれるはずです。(日刊スポーツ評論家)

Read more